2011年7月、国内未曾有の災害となった東日本大震災から4ヶ月後。宮城県石巻市の仮設万石浦団地に、一台の車が届けられました。そしてそれは人々の足となり、インフラとして大きな役割を果たすと共に、コミュニティ形成のための重要な足掛かりとなりました。その活動は、震災から11年経た今も規模を拡大して続いており、全国各地の被災地に希望を届けています。
今回は、⼀般社団法人 日本カーシェアリング協会(非営利団体)の活動について、同協会のソーシャル・カーサポート事業部 事業部長の石渡さんにお話を伺いました。
石渡 賢大 (いしわたり けんた)
1990年生まれ、千葉県出身。慶應義塾大学文学部を卒業後、2012年より損害保険会社で勤務し、自動車事故の解決業務や、代理店営業に従事する。協会の寄付車を活用した支援活動に共感し、2017年同社を退職し、同年日本カーシェアリング協会に参画する。現在は協会が行う災害支援、生活困窮者支援、広報・ファンドレイジングの業務を担当する。
この活動はこんな人におすすめ
・災害に備えたい、支援したい。
・車が好き、運転が好き。
・色んな方法で参加できる支援をさがしている。
一人での行脚、一台の寄付車からのスタート
活動の始まりについて教えてください。
東日本大震災直後、2011年4月のことです。当協会の代表(吉澤 武彦氏)が原発事故を受けて、福島県の子ども達を関西に避難させるという活動を始めていました。そんな中、これまでも災害時に様々な社会活動を行ってこられた知人(故・山田和尚氏)に、「今避難所にいる方々はもうすぐ仮設住宅に移る。仮設住宅でのカーシェアリングを提案する準備を今からやってみたらどうや?」という提案をいただいたそうです。代表が興味を持ち、ぜひやりましょう、というところから活動が始まったと聞いています。
代表の吉澤氏は東北のご出身だったのでしょうか。
いえ、生まれも育ちも関西です。震災が発生した時に、とんでもないことが起きた、これは何か動かにゃいかん!という使命感で被災地に入ったそうです。文字通り縁もゆかりもありませんでした。ましてや代表は、車関係の業界にいたわけでもないし、むしろペーパードライバー(笑)難しく考えず、シンプルに車を譲ってもらうことから始まりました。当時代表は関西圏に住んでいたので、大阪の企業を訪問しまくるという、泥臭い訪問営業のようなところからのスタートでした。
最初の1台はどのような感じで届けられましたか。
当時は、今よりも車を寄付することに理解がある人がいませんでした。実績もないですし、団体の設立前だったので信用も低い。だから断られ続けていたそうです。ただ、何回も頭を下げて回っているうちに、企業の方たちも協力してみようという雰囲気になってきて、ようやく2011年5月に、京都にある会社の社長さんから最初の一台をいただくことができました。
その大切な一台をどこに届けるか、実際に仮設住宅を回って情報収集をしたそうです。一緒にカーシェアリングに取り組んでくれる人柄のよい方がいる仮設住宅ではじめたいという想いもあり、沢山の話をしながら届け先として決めたのが、石巻市の仮設万石浦団地でした。車を届けたのは2011年の7月で、発災から4カ月が経ってからです。
車を管理するために、一般社団法人を設立したのが2011年7月。それからは、2台目3台目とポツポツと集まった車を、人の声を聞きながら必要なところに届ける、という草の根活動を行っていました。
大きな転機になったのは、2012年の1月です。中古車販売のガリバーさんから、31台の車を寄贈していただきました。そのおかげで一気に規模も大きくなり、沢山のボランティアさんの協力もあり、活動も軌道に乗っていきました。
当時の反響や実際の効果などはどういったものでしたか。
当時の石巻市の仮設住宅は、元々住んでいた地域とは関係なく、抽選での振り分けになっていて。人間関係も一からだし、コミュニティが全くない。そういう中に車を持っていって、みんなで1回集まりましょうよ、みたいな顔合わせから提案を始めます。そうこうしているうちに色々と話せる関係ができてきて、「最近、草ぼうぼうだから草取りみんなでやろうよ」とか、「あのおばあちゃん、病院行くのに困っているらしいから、俺、乗せていくよ」みたいな、そんな会話が車を使うグループの中で広がっていきました。
当時、仮設住宅の自治会設立がうまくいかないことが、石巻市の大きな課題でした。僕らが車を置いたところでは自然とコミュニティが形成され、自治会の設立もとてもスムーズに進んだ。それを知って、市としてすごく驚きだったようです。なぜカーシェアのグループがあるところだけ、自治会ができていくのかと。
同時に、そういった面から協会の取り組みを評価していただけました。2012年に石巻市が、仮設住宅へのコミュニティカーシェアリングの導入を委託事業として協会に任せてくれて。そこから本格的に、石巻市内での活動も加速していきました。委託は、仮設住宅がなくなるまで続きました。現在、仮設住宅に住んでいた方たちは復興公営住宅という集合住宅に移りましたが、仮設住宅時代にできあがったコミュニティ・カーシェアリングの仕組みが、復興公営住宅の中でも同じように機能しています。
損害保険会社から飛び込んだボランティア、そして転職
石渡さんはどのようなきっかけで携わることになったのですか。
ボランティアでの関わりがスタートでした。
当時は損害保険会社に勤めており、仙台市で働いていました。主な業務として車の交通事故解決に携わっていたのですが、これがまあ年間1000件ぐらいあって。交通事故の多さに驚くとともに、事故をなくすような取り組みができないかと日々考えるようになりました。
あと、僕は、就職活動の年に東日本大震災が発生して、リクルーターとの面談日に動きが止まってしまったような世代で。あの頃は、将来への不安と閉塞感をもちながら、何かできることはないかという焦りを同世代みんなが感じていたと思います。保険会社に入って宮城県で働くのを決断したのも、被災地へなにかしら貢献できないかという気持ちがあったからです。
交通事故を減らすような取り組み、被災地への貢献。その二つが掛け合わせてできるような活動はないかと探しているときに、協会の活動を知りました。
実質活動に関わるようになったのは、2015年くらいです。仮設住宅で、免許を返納した高齢者が、地域の方に買い物や病院に連れてってもらったりしているのが、とてもいいなと。僕の実家も田舎なので車のない生活の不便さはよくわかっています。そういったところでは、免許を返納するのはすごく難しい判断になる。なので、このコミュニティカーシェアが増えて、免許を返納しても地域の助け合いで困ることがない文化が根付くと、高齢者の交通事故を減らせるかもしれないと思いました。すごく素敵な活動だと。
そこから転職をされたと。それはいつのことで、なぜ決断されたのでしょうか。
入職したのは2017年の6月末です。
ちょうどその頃、災害で車が水没してしまった人たちに車を届けるボランティアに参加しました。まだ保険会社にいた頃で、水害があっても保険で払える人がほとんどだろうと思っていたのですが、全然違いました。そもそも保険に入っていなかったり、保険に入っていても水害の補償が出ないような方だったり。現実として、保険ってこんなに届いていないのか、というのが僕の中ではすごく衝撃的で……。協会の活動が、その保険の保険のような役割を担っているというのが素晴らしいな、もっと深く関わりたいなと思って転職を決めました。
それまでも声はかけていただいていたのですが、色々と悩んでいました。ですが一度きりの人生ですし、決断したのはタイミングも大きかったですね。
根幹となる三つの活動
活動の内容を教えてください。
大きく三つの活動をしています。
1.仮設住宅でのシェアの活動から始まったコミュニティ・カーシェアリング
特定の地域に車を貸し出し、ご近所さん同士でその車を使うグループを作ってもらう。そして、その車の利用を通じて支え合いができる地域を作っていきましょう、という活動です。
2.災害の支援を行うモビリティ・レジリエンス
寄付された車を被災地に集めて、被災された方や地域に、完全無料で一定期間車を使っていただくというような支援です。
3.車の貸し出しを行うソーシャル・カーサポート
NPO団体や生活に困窮されている方に車を貸し出すことで、応援する活動です。
車を託してくれた人の想いも一緒に届ける
この活動をしていて良かったと思う瞬間を教えてください。
2018年に岡山県で起きた西日本豪雨での支援の際、車の貸し出し中に地元の方々と「あなたたちどこから来たの?」「宮城県の石巻市です」みたいなやり取りがあって、すごく驚かれたということがありました。もともと岡山県は災害が少ない土地なので、水害は想像以上に住んでいる人たちを打ちのめしました。そんな中、石巻という津波で被害を受けた地域の人が支援に来てくれている。あれだけすごい災害を受けても支援ができるまでになれるのだったら、今度は自分たちが恩返しできるように頑張ろうと思ってくださったのです。
このように、石巻でできた仕組みが、次に困っている人のところに届けられたという実感が得られたときが、この活動をしていてよかったと思う瞬間です。
あとは、車の寄付を受けるときです。やはり長く使った車を寄付してくださるので、すごく愛着を持っている方が多くて。皆さん寄付前の最後の瞬間には、愛車のボンネットをさすったりして、「がんばんなさいよ」と、娘をお嫁に出すみたいな送り出しをしてくださる。その瞬間がすごく尊いです。僕たちも、いただいた車を最大限役に立てるぞと、身が引き締まります。
また以前、80代くらいのご年配の女性から真新しい綺麗な車を寄付いただいたことがあって。これ、売ったらお金になるのでは? なんて恐縮してしまったのですが、その方は「この歳まで色んな人から支えられてきた。みんなに恩返ししたくても、先が長いわけではないから難しい。この車をあなたたちに託すことで、他の人を助けてくれるのであれば、一番の恩返しになるような気がする」と。
その言葉が心に沁みました。そして実際にその車が人を助けている。
車を託してくれた人の思いも一緒に活動をしていることを実感できて、本当にうれしい瞬間です。
活動をする上での課題、それに伴う目標やゴールについて教えてください。
一つのゴールとして、やはり車の寄付が当たり前になっている社会を作りたいと思っています。全ての事業を寄付車で行うのが僕らのポリシーみたいなところがあるので、車が活動の全てといっても過言ではありません。一方で車の寄付というのは、まだまだ一般的に根付いているものではない。フードバンクなどと違って、寄付の選択肢に入ってないことがほとんどです。なので、いかに車の寄付という選択肢を知ってもらうか、が大きな課題になっています。また、災害支援に対する中期目標として、東日本大震災級の災害が起きたときにもスムーズに車を届けられるようにしたいと考えています。
それらを達成するためには、僕らの活動の認知を広げていくのが必須になるので、PR活動に力をいれていきたいですね。
ほんの少しの気持ちでもしっかりと役立てたい
私たちが応援するには、どういった方法がありますか。
まずは、僕らの活動の原点でもある車の寄付ですね。これはもう本当に常に求めています。
お車を手放す機会がある方については、是非私たちに託していただけたら嬉しいです。
今足りていない車種や、求めている車種はありますか。
車の寄付に関しては、基本的に全てありがたいのですが、特に軽自動車の寄付があると助かります。普通自動車に比べて、軽自動車は手続きがとても簡単なので、被災地に届けるまでの期間が普通自動車とは全然違ってきます。災害以外でも車を安く使えたら助かるという方が多いので、そういう意味でも軽自動車の方が税金も安い。軽自動車の寄付をもう少し集めていければ、もっといろんな支援の幅が広げられるかなと考えています。
あとはトラックです。といっても大型のトラックではなく、農家さんが使っているような軽トラック。近代の地震災害で乗用車の被災台数は少ないのですが、瓦礫の撤去や倒れた家具を運搬するための貨物車、トラックのニーズが増えます。トラックも実は寄付が集まりづらいので、あるとすごく助かります。
動かない車でも需要があるのでしょうか。
壊れている車や、車検切れの車の寄付のお申し出も結構あります。以前はお断りしていたのですが、被災地の支援のために大切にしていた車が活用できないかと、お声掛けをいただいたのに、お断りするのが申し訳なくて。そこで何かできないかなと考えたのが、リサイクル寄付です。
分別と再利用の工程を踏んで、部品を有価で買い取ってくれる車のリサイクル専門の会社があって。そういった会社と提携をすることで、使うことが難しい車であっても価値を生むことができるようになりました。そこからの財源も寄付金として僕らのところに回ってくるので、今は本当にどんな車であっても、いただけるだけで助かっています。
新しい試みで広げる支援の輪
ホームページを拝見すると、他にも色々な面白い支援の方法がありますね。
こういう活動への関わり方は、選択肢が多ければ多いほど、たくさんのご協力をいただけるのではないかなと思っています。ボランティアで、寄付車を被災地や僕らの拠点まで運んでくれる”架け橋ドライバーさん”はその一例ですね。車を運転するだけで被災地の力になれるなら、やります!と言ってくださる方も多くて、非常に助かっています。
あと、面白い取り組みとしては、ふるさと納税です。九州支部のある佐賀県と協定を締結して、寄付金のうち返礼品を除いた9割の金額が協会の活動費に充てられます。返礼品を提供する佐賀県の事業者も被災して復興活動を頑張っているので、ダブルで応援できて節税にもなるという仕組みになっています。
その他にも、Tポイントでの寄付やAmazonの欲しいものリストでカー用品の寄付を受け付けていますし、ご協力が得られやすいような方法を常に模索しています。
クラウドファンディングを始めたとお聞きしました。
はい。車を保有するというのは、税金であったり車検代であったり修理代だったり…ものすごくお金がかかります。なので、お金の寄付で僕らの活動を支えていただけるのは、車を大切に使っていけることにも繋がりますので非常にありがたいですね。
協会としても、単発の寄付から毎月の応援をいただくマンスリーサポートなどを実施しているのですが、今回新しい取り組みとして日本自動車連盟(JAF)さんとパートナーシップを結び、クラウドファンディングを開始しました。ぜひみなさんのお力を貸していただければと思います。