活動の紹介

地域で頑張る女性や子どもを応援!被災地支援から繋がるやっぺすの輪

東日本大震災の発生から11年が経過しました。当時、宮城県石巻市で自身も被災しながら、2011年5月に特定非営利活動法人(NPO法人)を立ち上げた兼子佳恵さん。以前からボランティアとして活動していた、子育て関連の支援に加えて、被災者だからこその視点を活かしたさまざまな事業を立ち上げて活動してきました。今回はそんな特定非営利活動法人 やっぺす(旧名:石巻復興支援ネットワーク)の創立者である兼子さん、そして身近で活動を見守ってきた次男の真輝さんにお話を伺いました。そして、2022年から兼子さんより代表を引き継いだ、共同代表の高橋さん、柏原さんにも今後の展望についてお聞きしました。

兼子 佳恵(かねこ よしえ)
特定非営利活動法人 やっぺす創立者。1999年より、子ども対象の環境教育活動のサポート、個別の子育ての悩みを聞く活動を始める。2009年2月に団体名称を「環境と子どもを考える会」と改称し、前進団体の活動に加えて子どもたちが笑顔になるイベントの開催、街づくりに問題提起する講演会等を企画運営。現在の「特定非営利活動法人 やっぺす」は震災後に立ち上げた。宮城県男女共同参画審議会委員、石巻市市民公益活動推進委員会委員、中央大学法学部非常勤講師等を兼任。2020年内閣府主催「女性のチャレンジ支援賞」受賞など、さまざまな賞を受賞している。

兼子 真輝(かねこ まさのぶ)
宮城県石巻市出身。2019年より「特定非営利活動法人 やっぺす」に携わり、現在は事業部長を務める。石巻市より事業委託を受けた子育て世代包括支援センター(利用者支援事業)の運営を担当している。2020年より石巻市協働教育推進委員を務める。

この活動はこんな人におすすめ

・頑張る女性を応援したい
・子育て支援に興味がある
・被災地の復興を応援したい

自身が子育てに悩んだ経験があるからこそ、それを活かせないかと思った

兼子佳恵さん、兼子真輝さん

活動を始めたきっかけを教えてください。 

佳恵さん(以下、佳恵):やっぺす立ち上げ前の約12年間は、ボランティアとして子育ての相談にのったり、子どもたちの環境教育のサポートをしたりしていました。私自身が子育てに悩み、育児ノイローゼになったことがあるからこそ、その経験を活かせないかと思ったことがきっかけです。また、学歴にコンプレックスを持っていたため、子どもたちをきちんと育てないといけないという思いがあり、息子たちには厳しくしていました。当時は教育虐待をしていたと思います。今だったら「子どもと親は個であって、決して親ができなかったことをするために子どもがいるわけではない」という話ができるのですが、当時はとにかく、子どもを通して自分を認めて欲しいという気持ちがあったのでしょうね。

やっぺすの事業は、私自身が子育て中に悩んだことを事業化しただけのものなので、特別なスキルを持って運営しているわけではありません。とにかくがむしゃらに頑張ってきて、ここまで続けられることができました。

団体名として使われている「やっぺす」の由来を教えてください。

佳恵:地元の方言で「やっぺす」は、一緒にやろうという意味です。震災後は「がんばっぺ」という言葉がよく使われていたのですが、「自分なりに精一杯やってきたのに、これ以上なにを頑張れっていうの?」という思いしかなくて……。「やっぺすちゃん」というイメージキャラクターも作ったのですが、「一緒にやろう」という思いと、「震災前はもっとみんな優しくできていたよね?そのときの気持ちを思い出して欲しい」という思いで、ハートをモチーフにしたこのキャラクターを前に出して活動をスタートしました。

活動を長く続けていくために、NPO法人として団体を立ち上げた

震災前後で人間関係はいろいろと変わりましたか。 

佳恵:そうですね。震災後は「いつ、ちゃんとご飯食べられるようになるのか」という不安もあり、ギスギスしていたと思います。分け合えば満たされるはずなのに、奪い合うからいつも足りずに枯渇していて。特に家が流された人たちは、「物を収集してしまう」というところはあったと思います。今日支援物資をもらえても、明日はもらえるか分からない。とにかく多くもらっておこうというのがあって。でも結局、食べられなくて廃棄するような場面も見てきました。疲弊しすぎて、分け合うという気持ちが無くなっていたのだと思います。当時は「これからどうなるのだろう?」という不安な気持ちしかなかったですね。

NPO法人として団体を立ち上げたのは震災後すぐですか。 

佳恵:震災のあった2011年の5月18日に設立総会を開き、12月12日にNPO法人として立ち上げました。被災してすぐは前身となる任意団体で炊き出しをおこなったり、支援物資をみんなで分けあったりする活動をしていました。「つなプロ」という被災地支援団体が入ってきてからは、ドライバー兼キーパーソンとを繋ぐ役として雇ってもらいながら、現地でのヒアリングをサポートしてきました。ときどき自身の団体でもイベントを開催していたのですが、活動を長く続けていくためには、いつまでもボランティアだと難しいということで、NPO法人を立ち上げることにしました。

東日本大震災 がれきの山

震災から数ヶ月だと、ご自身の生活を立て直すのも大変ではないですか。

佳恵:そうですね。家のことは何もしていなかったです(笑)。夫が家事や料理をやってくれていたので、家のことは任せていました。当時、家に帰る時間が1日のうち1時間あるかないかで、事務所が見つかってからは、そこを拠点にいろいろと動いていました。寝る時間もほとんどなく、仮眠しては起きての繰り返しでした。長男がもともと3月下旬には上京することになっていて、すでに部屋も借りていたのでそのまま東京に行かせました。下の子は当時、中学校2年生だったのですが、ある意味大人かなと。家族はどう思っていたのでしょうか。

真輝:(以下、真輝母親はそういうものだと思っていたので、特に家庭のことに関しては何とも思っていなかったですね。頑張っているな〜とは思っていました。当時、学校は休校になっていたので、私自身も母の活動に一緒について行くこともありました。

真輝さんがやっぺすに携わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

真輝さん:社会人1年目のときに、父が亡くなったことは大きかったですね。当時、祖父は肺がんの再発、母は乳がんの発覚や線維筋痛症という状況で。自分自身は何をすべきか?という問いをずっと考えていました。ふとテレビを観ていたとき、私以上に困難な状況にある人がいることを知って。学生の頃、母の手伝いで子どもたちの支援に携わったことがあり、興味を持っていたので、子育て世代包括支援センターの運営に参加するようになりました。

やっぺすの事業は「やれない理由ではなく、どうしたらやれるか」という発想から

団体ではこれまでにどのような活動をおこなってきましたか。

佳恵:震災の翌年2012年8月には、仮設住宅のコミュティ支援事業「やっぺす隊がやってくる」をスタートさせました。そこから子育て中の母親たちにお話を聞き、「おうち仕事」という内職仕事の事業を作ったり、私のように子育てしながら仕事に就きたい、再就職したいという人たち向けに「人材スクール」を立ち上げたりしました。あとは、事業を起こしたい人を支援する「やっぺす起業支援ファンド」、外から支援したいという人をつなぐ「やっぺす隊がやってくる」などもスタートしました。やれない理由ではなく、どうしたらやれるかという発想で、すべての事業が立ち上がっています。

基本的には女性や子どもへの支援事業が多いのですか。 

佳恵:そうですね。女性や若者向けの事業が多いですが、それだけに限定せず、石巻を盛り上げる事業を幅広く行っています。 「石巻に恋しちゃった」は、地域全体の人たちが主役になるまちづくり事業です。長男が2013年から団体を手伝ってくれていたのですが、彼が担当していた「起業家支援」や「コワーキングスペース事業」は男性も参加していました。

復興支援から10年。コロナ禍で新たな課題も見つかった

コロナ禍になり、立ち上げ当初からの活動に変化はありましたか。

佳恵:やっぺすの事業はこれまで、その時々のニーズによってさまざまな変化を遂げています。例えば、復興住宅支援事業である「やっぺす隊がやってくる!」は、仮設住宅に住んでいた人たちが次の住処に移ったら、一旦終了しようと考えていました。しかし、移ったら移ったでハード面は充実していく反面、繋がりは希薄になっていく。継続してコミュニティ支援は必要だと感じたので「やっぺすカレッジ」と名称を変更し、住民主体で事業を継続していくことにしました。

また、さまざまな相談を受ける中で貧困層の課題も見えてきました。女性が一時的に避難できる場所として、民間の住宅を借り上げた「やっぺすハウス(パントリー事業)」もコロナ禍でスタートさせました。

そして2022年から代表を交代されるということで、創立者である兼子さんが代表を離れるとのは大きな変化ですね。 

佳恵:立ち上げから10年以上が経ち、前事務局長と前事務局次長が共同代表としてスタートします。私自身も病気をしたり、家族が亡くなったりといろいろあったので、少し気持ちを整えていきたいと思っています。学んだり休んだり、それでいい。そういう人たちがゆるく繋がれる場を作っていこうと思っています。

アフターコロナに備え いま私たちができること

長年のやっぺすでの活動、お疲れ様でした! 

震災を経験後、「地域のために何かしたい」という思いから団体に参加

創立者である兼子さんからバトンを受け取り、新たに共同代表に就任した髙橋 洋祐さんと、柏原としこさん。今後のやっぺすの活動、課題、目標についてお話しいただきました。

お二人はどのようなきっかけでやっぺすに携わることになったのですか。

髙橋さん(以下、高橋):やっぺすが活動を始めた当初、私は今と全く違う仕事をしていました。震災を経験し、地域で何かを始めたいと、当時やっぺすが石巻の駅前で行なっていたコワーキングに相談をしに行ったことがあったので、存在は知っていました。その後2016年、障害者就労移行支援の事業所立ち上げに関わって活動しているうちに、制度の狭間にいる人や、支援が必要だけど届けられない人達の数の多さに驚き、歯痒さを感じていました。そんな中、妻がやっぺすの女性リーダー育成スクールを受講したご縁で兼子さんに声をかけていただき、もっとフレキシブルな活動がしたいと思い、やっぺすの仲間入りをさせていただきました。

石巻で生まれ育った3人のパパである共同代表の高橋さん

柏原さん(以下、柏原):私は化粧品を取り扱う仕事をしており、仕事の先輩方とチームを組んで、やっぺすが行っていた事業「石巻に恋しちゃった♡(通称:石恋)」に達人として参加したのが2014年。これがやっぺすとの出会いです。それ以降、石恋のボランティアとして参加していく中で、石恋担当スタッフ募集のお話を伺いました。私自身、震災直後から様々な人たちに支えられ、「今度は自分が地域の人たちのために何かできないだろうか」と考えていた矢先のことだったので、ここで地域に必要なことは何かを学びながら、その経験を活かしていけたら…と思い、入職したのが2016年5月。まさに「石巻に恋しちゃって」やっぺすの仲間いりをさせていただいた、そんな感じです。

コロナ禍で浮き彫りになった問題は、もともとあった根深いもの

現在の課題・困っていることは何ですか。

髙橋:コロナ禍で始めた女性相談窓口への相談件数が多く、そこから見えてきたニーズに対して事業展開を行なってきました。特に住居に関しての課題が多かったので、やっぺすハウス(シェルター機能付きの貸しハウス)の運営を開始しています。しかし、これらの課題は今起こったことではなく、もともとの地域の環境や生活様式、就労等、複合的で根深いものが起因しています。表面的なサービスだけでは根本的な解決を行うことはできないため、長い時間をかけて様々な課題を紐解いていく必要があります。また、既存の制度等では対応できないケースがほとんどですので、私たちのように民間だからこそできる、柔軟な対応が必要とされています。

そこで、時間、人、それに付随した資金等のリソースが必要になってきますが、正直めちゃくちゃ不足しています。ビジネスとして考えたら絶対儲からないですからね。だからといって、行政や企業が簡単に資金を工面してくれるわけでもない。先日、「必要性をすごく感じるけど、センシティブで見えづらい課題だから測りにくい」という理由で、民間の助成金が不採択になりました。だから「私たちがいるんだ」と思ったし、届けられない悔しさもあります。

柏原:そうですね。新型コロナウィルス感染症の流行以降、目立って増えてきている相談件数、その相談内容から、相談者さんが抱えている問題は決して「新型コロナウィルス感染症」に起因したものだけでなく、そもそも隠れていた問題に対し、ようやく「助けて!」が言えるようになったと思っています。その中で、問題がすでに深刻化してしまう前に、もう少し早く周りにSOSを出せていたら、もっと早く相談窓口につながっていたら…そう思うこともしばしばあります。

しかし、悩みを抱えている人たちにとっては「相談窓口」というもののハードルが高く感じたり、そもそもどこに相談してよいかがわからないまま問題が放置されてしまったり、そういう方も少なくありません。ネット社会が進み、どこにいても情報が手に入れられるようになっている反面、貧困や高齢等により様々な問題が浮き彫りになってきています。必要な情報が行き届かないという情報格差、免許を返納したため車がないから相談窓口に足を運ぶのが難しい、情報を取りに行くことすらできていないなど、このような目には見えない壁を取り除き、誰もが取りこぼされない地域づくりにつなげていくことが、課題の一つであると考えております。

それぞれができることで応援してもらい、一緒に未来を創っていきたい

やっぺすを応援するには、どんな関わり方ができますか。

髙橋:それぞれが「できること」で応援してほしいと思っています。ボランティアや募金はもちろん大大大募集中です。それ以外でも、家で育てた野菜が食べきれない、農家さんだったら形が悪くて出荷できない、などの余り物等は、こども食堂で美味しくボランティアの皆さんに調理していただいて、こども達やお母さん達がお腹いっぱいになることができます。また、アクセサリーが好きな方は、地域のお母さん達と作った「アマネセール」というアクセサリーを購入してもらうと、地域のお母さんの手仕事にもなります。他にも防災グッズの販売や寄付サイトからの寄付もあります。できる形、好きな形で応援していただくと、やっぺすの活動を通して確実に必要としている方に届きます。

柏原:まずは、やっぺすが開催しているママ子ども食堂や、やっぺすカレッジ、女性人材スクール等に参加したり、ホームページやFacebookページをご覧になったり、やっぺすのファンになって欲しいです。そこで知ったこと、体感したことを、周りの方たちにシェアしていただくことで、地域の課題について考えるきっかけにもなり、次の応援につながると考えております。そのほか、賛助会員の募集、募金箱や寄付型自動販売機の設置協力なども随時募集しております。ともに楽しみながら、「“わたしらしく生きる”が叶えられるまち」を目指し、いっしょに未来を創っていきましょう。

自身も石巻在住のママである共同代表の柏原さん

地域課題の終わりはない。“こうなったらいいな”が実現していける団体であり続けたい

活動をする上での目標やゴール・今後の活動について教えてください。

髙橋:正直、ゴールは具体的には見えていません。地域課題の終わりなんてまずないでしょうし、地域課題へのアプローチを地域住民として続けてきただけなので。でも僕はそれで良いと思っています。やっぺすは私と事業部長の兼子以外、全員地域のママ達なので、大好きなスタッフ達や応援してくださる仲間達が「こうなったらいいな」を具現化していける団体になれば、それだけ地域の女性やこども達の生きやすさに直結すると考えています。

それを実現していける団体を目指して、組織としてはこれまで以上に各事業の効率や成果を追求しなければいけないのと、寄付集めや事業収益を増やすことに力を入れていく必要があると思っています。まだまだNPOのスタッフの給与は同じ地域の公務員と比較すると、大幅に開きがあります。こんなに頑張っているスタッフ達が当たり前に給与をもらって、そして地域の若者が憧れて入職し、また課題解決の活動を展開する。そういった循環を生み出すことが目標です。あれ、これが私の中でのゴールかも。

柏原:東日本大震災からはじまり、新型コロナウィルス感染症の流行や各地で起きている大規模自然災害、軍事紛争等、誰もが予想できずにいる出来事が続いておりますし、これからもきっと様々なことが起きていくのではないかと思います。その時々によって必要なこと、そして、その少し先の未来に向けて必要なことは何かを考え、柔軟にアップデートできる団体であり続けることが、目標かな…と思います。

また、地域の方たちが、一方通行の支援者・受益者という関係性になるのではなく、お互いがそれぞれ何らかの役割を持っていることに気づき、互いに認め合い、支えあえる、あたたかな循環がうまれる地域になれたらいいな、と思っております。この理想を叶えるためにも、髙橋の話にもあるように、しっかりとした事業収益や寄付を集めるなど現実を見据えていく事が重要だと考えております。自分の中にゴールはないけれど、「昔はよい時代だった」ではなく、常に「今がいちばんよい時代だ」とみんなが笑顔で言えるよう、前進していけたら最高ですね。

やっぺす公式Twitter
やっぺす公式Facebook

特定非営利活動法人 やっぺす

「特定非営利活動法人 やっぺす」は、自ら輝こうとする女性をエンパワーメントするために3つの分野で活動を行なっています。 (1)女性の活躍推進…ビジネススキル支援、職業紹介、創業支援など多様な側面から女性へのエンパワーメント事業を実施し、社会における女性の活躍を推進する。 (2)子育て支援…小さいお子さんを持つお母さん方が楽しく子育てできるようサポートと子育てしやすいまちの実現に向けた環境づくりを行う。 (3)復興支援活動…孤独死やアルコール依存症、幼児虐待等を防止するため、仮設住宅を中心とする地域全体のコミュニティ作りを行う。 また、被災地での支援活動や社員研修、視察を希望する企業やNPO等のニーズと現地のニーズをマッチング及びコーディネートする。