学ぶ機会さえあれば、無限のポテンシャルをもつタンザニアの人々と、自分を開放できれば、真に豊かになれる日本の人々をつなぐ活動をしているNPO団体がTalk Our Future from Africa(以下TOFA)です。タンザニアのニャンブリ小学校へ教科書などを寄付する一方で、日々の生活にモヤモヤを募らせている日本人を元気にしてくれるタンザニアとの交流を企画、実施しています。そのベースにあるのは、「誰かではなく、自分が元気になる、楽しくなる未来を考える」こと。自分の未来は誰かの未来。誰かの未来は自分の未来。どんなワクワク未来が待っているのでしょうか。
田中ちひろ
TOFA理事長。15年来のタンザニアの友人ポールとビジョンを共有し、個人レベルで活動をスタート。現地の人はもちろん、この活動に参加した日本人が限りなく元気になる様子を目の当たりにし、この活動が地球の未来と人々の幸せに貢献することを確信しNPOを設立。日本、タンザニアのみならず、この活動を世界へ広めている。
この活動はこんな人におすすめ
・ワクワクした未来を創っていきたい
・タンザニアやアフリカと何らか関わりたい
・こどもたちの教育や国際交流に興味がある
みんなの未来は自分たちが楽しいと思える「妄想」から
まずはTOFAの活動の基本的な部分をご紹介します。
<活動軸>
<活動実績>
2017年〜現在までに教科書を中心として、ノートやペン、サッカーボールなどをニャンブリ小学校へ提供。有志のメンバーで現地の小学校へ4度訪れました。
<今後の構想(妄想)>
今後、やってみたい!実現したら楽しい・嬉しいと思っていることもいっぱい。
<募集>
集まってほしい人はこんな人たち!
では、TOFAの成り立ちから、活動の詳細、これから広がる未来について、代表の田中さんに聞いてみましょう。キーワードは“違い”と“ワクワク”です。
そもそもの始まりは「野生のエルザ」と偶然の出会い
活動を始めたきっかけは、なんだったんでしょう?
2002年にタンザニアのセレンゲティ国立公園へバカンスで行き、その時帯同してくれたコックのポールと出会ったのがきっかけです。
なぜセレンゲティだったかというと、ケニアであった実話を基にした「野生のエルザ」というドラマの続編となる小説の中に出てきていて、いつかは行きたいと思っていたからなんです。ちなみに、「野生のエルザ」は群れから逸れた雌の子ライオン(エルザ)を人間が育て、成長してから野生に返し、最後にはエルザが子どもを連れて会いに来るという話で、続編では、人間に慣れてしまったエルザの子どもたちを、安全かつ野生を保ったままで生きられる場所として、隣国タンザニアのセレンゲティ国立公園へ放しに行く様が描かれています。
行きたかったとはいえ、ずっと思い続けていたわけではなく、とある食事会で一緒になった友達の友達が行くという話を聞いて、パッとその気持ちが蘇ってきて。すぐさま「私も行く!」と(笑)。
タンザニアとのつながりはそこなんですね。活動のきっかけとなるくらいのポールさんとの出会いとはどんなものだったんですか?
タンザニアに行った2002年当時は、今ほどホテルもなくて、寝泊まりはロッジかテントだったので、ツアーにはガイドの他にコックが帯同するのが普通でした。そのコックが20歳そこそこのポールだったんです。1台のジープで一緒に移動する中でいろいろな話をしているうちに仲良くなりました。
そして、旅の終盤にポールが持病のマラリアで発作を起こしたんですが、40度近い熱がある中でも、「みんなの食事は僕が作るんだ!」と作ってくれて。ロッジでの食事ではお腹を壊していたのに、ポールの食事では一切壊さなかったので、ありがたかったとともに、ポールのプロ意識に感動しました。それで、他のツアー参加者と「ポールになにかお礼をしたい」と思い、ポールに聞いてみたら、特に欲しいものはなく、やりたいことは?と聞くと、「勉強がしたい」と答えたんです。コックという仕事も、見よう見まねで得たもので、勉強してしっかりとした資格を取りたいと。それであれば、その学費をお礼としましょうとなったわけです。
ポールはその後、コックだけでなく自分で学費を稼いでガイドの資格も取りました。ガイドとしてヨーロッパのアッパー層との接点も増え、幅広い知識の必要性を感じ、最終的には大学まで進みました。
片道12km!タンザニアの学校事情
タンザニアの学校事情とはどういったものなのでしょうか?
ポールの故郷であるニャンブリでいうと、小学校でも片道4km、中学校に至っては12kmを歩いて通わなくてはなりません。しかも中学校へは、小学生時の成績が優秀でないと上がれないんです。制度的に幼稚園も義務化されていますが、実際に通えている子は多くないというのが現状です。大学だけでなく、「学ぶ」ということのハードルはかなり高いですね。
ほとんどの子どもが小学校を卒業後、村に残って農作業などに従事し、そのまま村で一生を過ごすため、親の教育への関心も高くはありません。
教科書配布で成績が一気にアップ!ポテンシャルしかない!
1990年代までは共産主義に寄った政策だったので、教科書も制服も支給されていました。しかし、資本主義に転換してからは、教科書がない学校も珍しくはありません。
それでTOFAを立ち上げた2017年に、ニャンブリ小学校へまずは教科書を送りました。驚くことに、そこから2年連続で学力が国のトップになり、国から表彰されたんです。しかも、生徒数が1000人を超えるので、1人1冊とはいかず、教科書は基本的には学校の物で、子どもたちは家に持ち帰ることができません。なので、基本的には家で教科書を使って復習するということができないにもかかわらず、それだけの成果を残しているんです。
環境の向上に比例するように学力が上がっていくのを見ていると、タンザニア、アフリカの持つポテンシャルを感じずにはいられません。2030年には全世界人口の1/5がアフリカ人になると言われていますし、未来はアフリカの教育環境で確実に変わると思います。
日本人と出会ったことも現地の人の意識を変えるきっかけになったのだとか?
大人も子どもも、アジア人をみるのが初めてという人が多かったんです。中には怖がって泣いちゃう子がいたくらい。それほど接点のない人たちが、一体なにをしにきたのだろう?なぜ、同じようにこの学校を卒業したポールはそんな人たちと話ができているのだろう?と疑問に思うわけです。それぞれの問いについて、一つ目に関しては、彼らが当たり前と思っている自然や動物たちが世界的に見て、本当に素晴らしく価値のあるものであること。二つ目に関しては、勉強することで未来の可能性が開けること、夢を抱けるのだということ、そして、望めば夢はかなうことを理解してもらえました。悲しいかな、無限の可能性や選択肢があることを知らない彼らは、時には目の前にある手っ取り早く稼げる方法、つまり密猟に、何の罪の意識も感じることなく手を出してしまっていました。私たちはここにメスを入れたかったのです。
ポールのお父さんのところに、親たちが列をなして「ポールにどんな勉強をさせたんだ?」と聞きに来たことからも、教育に対して前向きになったと感じられました。
日本には、もっと幸せに生きていい人がいっぱいいる
タンザニアとの交流を企画したきっかけはなんだったんでしょう?
私は20年くらいイタリアで仕事をしていたのですが、2014年からは日本にも拠点を置いて活動するようになりました。その時、日本に住む人たちを見て「辛そうだな」と感じたのです。電車の中でもみんな疲れているみたいに見えたし、イタリアでは聞くこともなかったいじめや自殺といった単語もよく聞くし。近しい人に「最近楽しかったことは?」と聞いても出てこなかったり、仕事としてお受けする研修の内容も異文化マネジメントからストレスマネジメントの話が多くなったり。「なにかおかしい」と。
ポールとはSNSなどを通じてそういうことも話していました。私は、日本人を元気にしたい、世界は広く、生き方もたくさんあることを(特に子供たちに)知らせたいと。ポールは、タンザニアの子供たちに夢を持つことを教えたい、密猟をなくしたいと。そんな二人の想いから、「では日本とタンザニアのために何かやってみよう」となったのです。
最初のステップとして、友人を連れて現地に行ってみようと…つまり本当の始まりは「辛そうだからなんとかしてあげたい」ではなく、「行ってみたら楽しいから一緒に行こうよ!」というアプローチだったんです。
実際に行かれてみて、みなさんの反響が大きかったようですが、なにがそうさせたんでしょう?
やはり日本とは違った広い世界や、大きなものを目の当たりにすることで、本人にとっては大きかった会社や学校での悩みが、大したことなく感じられるというか、勝手に浄化されていくみたいです。詳しくは、経験された方に(笑)。
*体験談は記事後半で(編集部)
文化に上下なし、違いから学ぶ。人生の選択肢の幅を知る。
日本国内の学校や企業で講演する機会もあるのですが、大人に対しても、子どもに対しても、ベースとして伝えたいメッセージは、「世界は広くて、一歩外に目を向けると生き方はいくらでもある」ってことです。もっと、自分を開放して幸せに生きていいのだと。
TOFAの活動にしても、社会的なことよりも前に、“何が好きで”、“何にワクワクして”、“何に時間を忘れて熱中できるか”が重要で、すぐに援助につながらなくてもいいとさえ思っています。
ただ日本では、“アフリカ”と聞くと、小学生ですら「援助=やってあげている」「自分たち方が上」といった意識を強く持っています。しかし、例えば、環境問題であるプラスチックバックの使用に関し、日本は2020年7月〜有料化になりましたが、タンザニアでは2018年から使用も、持ち込みも禁止になっています。そういった点では日本のほうが遅れをとっているわけです。それを知ったとき、子どもたちはかなり驚いていました。このように、お互いができることが違い、それぞれに可能性がある、上下があるわけではなく、互いに学びあえるのだという視点を幼いころから持ってほしいですね。
できることを考える(妄想する)だけでワクワク!
まずは教育なんでしょうかね。
重要だとは思いますが、頑張って勉強して、いざとなったら就職口がないとなると、「どうせ何も変わらない」と諦めてしまいます。雇用は教育とセットであるべきですね。雇用を生み出すために、今、取り掛かっているのが、ビジネスとして成り立つようなモノ、コトの選定です。
例えば、現地で訪れたコーヒー農園のコーヒーがめちゃくちゃ美味しいんです。ただ焙煎の具合が一定しないなどの問題があって。でも、生豆で輸入して日本で焙煎するなどすれば、十分商品価値があると思います。一緒に行ったメンバー全員(10人)が2〜3袋購入したら、それが半年くらいの売り上げになったらしいので、現地の人も助けることができるし、日本でもビジネスとして成り立つのではないかと思うのです。
他にも、女性たちが織る布がとてもキレイだけど、縫製はいまいち。タンザナイトを原石で輸出しているけれど、商品価値となる加工賃は輸出先の国に落ちてしまうなど、加工や流通の過程に問題があり、そこを工夫すれば、立派なビジネスとなり得るものがたくさんあります。
タンザニアの原料と日本の伝統工芸技の掛け合わせなんかも面白いと思います。学問の留学だけでなく、そういった技術を学びに日本へ呼ぶのもいいかも。
もちろん、観光業もポテンシャル満載です。プラスチックバッグの例のように、エコ先進国なので、そこをアピールしたホテル建築・経営なども、興味を持ってくれる建築家、経営者がたくさんいるはずです。妄想はひろがるばかりです(笑)。
まずは「シェア」でOK!
どういった人に参加してほしいですか?
自分が楽しめる、元気になれることが大前提です。その上で、「こんなことできます!」「やりたいです!」という人に集まってほしいですね。特に現会員は40代〜50代がメインなので、違う視点をもち、フットワークも軽い20代以下の若い人たちにも知ってもらえたらと思います。
まずは多くの人に知ってもらうためにも、なにかのメディアで「つぶやく」「シェア」してくれるだけでも大歓迎です。「タンザニアについて知りたい」「アフリカ行きたい!」「動物がみたい!」といったきっかけでもいい。
タンザニア・日本に限らず、世界中を巻き込んで、いろいろな国の、いろいろな思いの人が「自分が元気になれる、私たちの未来を考えよう」というコンセプトに賛同してくれて、みんなで世界をよくしていければいいなと思います。
ありがとうございました!
<コラム>
理事の一人・吉岡恵さんと、広報などを担当する藤井聡史さんにTOFAとタンザニアの魅力について語ってもらいました!
心配するだけ無駄だった…
吉岡さんは2017年から4度にわたりタンザニアを訪れているそうですね。
吉岡さん:そうなんですよ。でも1回目は行くと決めるのに4ヶ月もかかりました(笑)。私の場合、タンザニアそのものよりも、現地に行くまでのプロセスと、行ったあとのことが、それ以降の自分にかなり影響を与えていますね。
私はかなり保守的な人間で、会社にもドメスティック人間と宣言していたくらいで、アフリカに行くなんて考えたこともありませんでした。でも理事長のちひろさん(田中さん)に、「行けない理由」を片っ端から潰されていって(笑)。
仕事のスケジュールとか、周囲へ仕事を振ることの後ろめたさとか…。でも、いざ仕事をお願いしてみると、みんな嫌な顔もせず快く引き受けてくれて。タンザニアに着いてから割とすぐにメールが見れなくなったんですけど、帰国して会社へ復帰しても、まぁ、なにも起こってなくて(笑)。自分であれやこれや勝手に心配していたことがバカらしくなって、自分のやりたいようにやってやればいいやと。
タンザニア自体はどうでした?
吉岡さん:まずは自分が抱いていたアフリカのイメージが総崩れしましたね。キリンの50mしか離れていないところで携帯電話をつかっていたり、藁葺き(わらぶき)の屋根にソーラーパネルがのっていたり、都市部には高層ビルもあったり。もちろん、携帯を持っている人も、都市部に住んでいる人も一握りなんですけどね。また、何かあったときのソリューションが、「それは思いつかなかった!」といったものが多くて、目からうろこでした。
同行した人たちも小学低学年〜60代と幅広く、肩書きも関係なく、名前で呼び合って、見栄をはる必要のない関係性は、素の自分を受け入れてもらえる感覚を持つことが出来、そのままの自分でいいんだと感じることができました。私だけでなく他の参加者も日に日に変わっていっているのを目の当たりにしましたね。 次の年からは「日程決まったら仕事は調整します!」と言ってました(笑)。
違うと思えばやめればいいやって
藤井さんはタンザニア未経験だそうですが、TOFAに参加したきっかけはなんだったのでしょう?
藤井さん:もともと別のところで吉岡さんと知り合って、ちらっと聞いていたんですよね。それでホームページを見たら4つの活動軸について書いてあって、しっかりした考えだなと。
吉岡さん:知らない間に正会員になっていたもんね。
藤井さん:そうねぇ(笑)。田中さんとポールさんのとても個人的な繋がりからスタートしているのが素敵だなと思って。パッションを感じたというか、ワクワクしたというか。
それまでも、ユニセフへの寄付や、災害支援、ふるさと納税なんかでチャリティ参加してはいたけれど、なんか貢献できている実感がなくて。社会貢献はしたいけれど、そういうと堅苦しすぎるし、自分がワクワクしたり、ハッピーだったり、嬉しかったりすることをしたいなと。どんなことをすればそう感じるのか? 小さいNPOもたくさんあるから、ほんと出会いですよね。TOFAも「入ってみて違うと思えばやめればいいや」くらいのノリで参加しました(笑)。結果的に正解でしたけど。
取材・文/大倉 奈津子