島根県太田市温泉津町(ゆのつちょう)で、里山を再生(再構築)して新しい経済圏を作り、既存の経済圏が持つさまざまな概念を変えたい!と活動をしている会社があります。概念が変わることで、いま互いに絡み合いながら起きている問題を解決し、安心して次世代へ継いでいける社会ができるといいます。彼らが目指している世界、また、変わらざるを得ない根底にある問題とはどんなものでしょうか?今回は合同会社シーラカンス食堂の代表、小林新也さんにインタビューしました。
小林 新也(こばやし しんや)
合同会社シーラカンス食堂 / MUJUN 代表社員・クリエイティブディレクター・デザイナー。株式会社OneGreen 代表取締役・チーフデザインオフィサー。1987年、兵庫県小野市生まれ。2010年、大阪芸術大学デザイン学科卒業。2011年、イノベーションデザインを行う「合同会社シーラカンス食堂」を地元の兵庫県小野市に設立。伝統工芸品などの商品や技術、販路や伝え方、意識のイノベーションに取り組み生産者が抱える問題解決に取り組む。特にグローバルとローカルを行き来した視点で持続可能なものづくりを目指している。主な取り組みに、播州刃物や播州そろばん、石州和紙、石州瓦など。
この活動はこんな人におすすめ
・里山事業に興味がある
・デザイン思考を鍛えたい
・子どもたちの未来が不安、何かしたい!
・職人志望の人
・時間と体力がある
このプロジェクトが目指す里山とは?
まずは、基本的なコンセプトを紹介します。新しい経済圏としての里山では、どんな暮らしを目指していて、そこで暮らす人々とはどんな人を想定しているのでしょう。
<そこでの暮らし>
<そこに暮らす人=職人>
ここでの職人とは“自然を活かし、自然に生かされている人”を意味し、基本的に“誰でも職人”です。
もちろん、自然環境に身を置き、自分自身の生活を自然循環の中のものとして捉える意識が必要です。
具体的には以下のような人々です。
・0円の素材を価値あるものに変換できる人=ものづくりができる人
・生業とした本業をもちつつ、再構築に必要な仕事を一緒にできる人
・新たにできるサービス(宿泊・飲食店など)や、既存資源(耕作放棄地・木材・自生植物など)を使った事業を担う人
・新たな経済圏を体験し、学び、伝播してくれる人
里山での暮らしは、現代社会を否定するものでも、過去に戻るものでもありません。小林さん曰く、「里山は正直、なんでもできます!ビジョンに共感してくれた人なら、同じベクトルで仕事ができる。労働とは違った“楽しい仕事”がきっと見つかります!」とのこと。では、具体的にプロジェクトの成り立ちから目指すビジョンまで小林さんに聞いてみたのでご紹介します!かなり濃いですが最後まで読んでみてくださいね。
子ども時代に肌で感じた問題
活動(プロジェクト)を始めたきっかけはなんだったんでしょう?
そもそも、里山の活動の前に、伝統産業の後継者問題に取り組んでいました。僕の実家は兵庫県小野市で表具屋を営んでいるんですが、僕が中学生ごろから「暇そうやなぁ〜」って時がすごいスピードで増えていって(笑)。これはうち一軒の問題ではなく、生活様式の変化など、社会的な問題なんだろうなとは思っていました。4つ上の兄は、全く別の道に進んでいまして、暗に「あとは任せた!」って感じなんですが、僕自身、自分が家業を継いでなんとかするのではなく、もっと大きな視野で捉えるべき問題だと思っています。
ご実家の状況から、後継者問題を考え始めたんですか?
つながってはいますね。社会的な問題で廃れていくものをなんとかしたいという思いは、僕の表現の根本にあると思います。大学へ進んでプロダクトデザインの勉強を始めたんですが、小さい頃から木材・和紙、カンナ・金槌といった素材や道具が身近にあって、モノ作りをしていたことが影響しています。車や家電といったプロダクトが好きなのも、その影響でしょうね。小学生のころから、“良いもの”を見分けるセンスは磨かれていたと思います。
トップデザイナーの座より輝いて見えたもの
大学卒業後、プロダクトデザイナーとして違うベクトルの進路もあったそうですが。
そうですね。プロダクトデザイナーの憧れでもあるイタリアのミラノサローネ(家具の展示会)・サテリテ(世界の若手デザイナーの登竜門的な場)に出展して、1社でも褒められれば成功と言われる中で、大手メーカー3社の社長から声をかけてもらえたんです。ヨーロッパでは、声をかけられた会社を訪問して、仕事をもらって、リリースすればデザイン界のヒーローというかトップデザイナーとして有名人になれる流れです。
でも、その流れに乗っからなかった…。
行動においては自分に正直なんで(笑)。出展前に、播州刃物に出会ってしまっていたんですよ。具体的には握りばさみの手打ち鍛造(たんぞう)ができる最後の職人・水池さんに出会ったことです。播州刃物の組合から「新しいはさみのデザインを」と依頼をされ、水池さんの工房を見学に行ったんですが、その衝撃たるや…。
それまでにも伝統工芸のプロジェクトに関わって、実績もそこそこあったので、「デザインを変えるだけでは根本的な解決にはならないだろう」とは思っていました。でも、間近に作っているところを見たら、本気で「すごい!」しかなくて。プロダクトデザインというものが薄っぺらく思えて、これを超えるデザインはできないと思いました。同時に、身近にあった美しくて完成度の高いデザインに気づいていなかったことにもショックを受けたんです。地元なのに、プロダクト好きなのにと。
そして、芸術品レベルのものを製造レベルでつくれていることをすごいと思う一方で、“製造レベルで作らざるを得ない”ことこそが真の問題なのだと思い至りました。そこから、デザインの概念が変わりました。デザイン云々よりも、なんのために作っているのか?といった“意味”そのものに意識がいくようになったんです。なので、ミラノで触れた煌びやかな“ザ・デザイン界”に対し冷めてしまったというのもあります。
行動しなければ、終了するのみ
真の問題を具体的にいうと?
職人さんの地位が低すぎる。単価が安すぎるんです。職人さんから問屋への卸値の設定が安すぎる。だから、数を作らないと職人さんが食っていけないんです。
刃物業界に限ったことではないですが、ものづくりは生産の合理化が進んだ結果、分業化されています。主な構造だと、原料(材料屋)→製造(職人)→流通(問屋)→販売(小売)なんですが、問屋の都合で、職人さん自身が表に出ることはなくて。品揃えが豊富な郊外大型店の勢いが強くなって、商店街が潰れていく中で、輸入品との価格競争が激化していったことも一因なんですが、いかにいいモノを安く提供できるか?が大事で、売る人の発言権ばかり強くなっていきました。そうなると職人さんは食うために、量産するしかなくなるし、時間的にも金銭的にも余裕がなくて後継者を育てられないんです。作り手が減っているので、一人にかかる負担が大きくて、ますます作り手がいなくなってきています。分業化が進んでいるからこそ、作り手が減っていくと、材料屋にも影響が出て、材料屋が倒れてしまうと、一気に全ての作り手がモノを作れなくなって、その産業は終わってしまいます。現に、この問題を抱えている産地は多数あります。
でも、本当に問題なのは、その産業が終わるかもしれないとわかりつつも、その状況を20年も30年も放置して、何にも行動を取れていないことだと思うんです。
<産業が終わっていくパターン>
概念を変えるには新しい経済圏を
負の連鎖を止めるために取るべき行動が、里山再構築だと行き着いたのは?
芸術レベルのそのモノの真価をブランディングで伝えられたら、プロダクト好きの人には刺さると思います。それで価格を上げても売れるとは思います。現に、職人の顔がきちんと出ている伝統工芸師の作品は、高いお金を出しても買うという人が一定数いますから。
ただ、今現在、地場産業といいつつ地場のものを使っていないモノが多くなっていているのも事実なんです。そうなってくるとブランディングしようにも、見せるものがないので限界が来てしまいます。そもそも地場産業って、その土地で豊富に採れるものから始まったはずなのに、全てにおいて自給率が下がりきってしまっています。
職人自体も元は百姓で、農業に必要だから鋤(すき)や鍬(くわ)、刃物を作る鍛治屋(かじや)が生まれ、農作物を入れるものが必要だから竹細工や木工が生まれ、採れたモノを料理するから鋳物(いもの)が生まれ、料理したものを入れるから陶芸も生まれたんですよね。普段の生活で使う必需品に文化的な豊かさが加わって、さまざまな意匠ができ、伝統工芸になっていった。だから、そういった暮らしからのモノ作りを包括してブランディングする必要があると思いました。でも同時に、合理的で大きくすることが正義みたいな感じになってしまっている今の経済圏で、そんな暮らしを実現するのは難しいとも思ったんです。これは新しい経済圏を作るしかないかと。
なんでもできる!楽しくできる!それが里山
それが里山だと。
はい。一般的に職人ってストイックで一つの道を極めるイメージですけど、必ずしもそうでなければならないとは思っていなくて、むしろ昔の職人のようにそこにあるものを使っていろいろ作っていいと。そのための材料は木でも石でも土でも、里山にはいくらでもでてくるんですよ。だからエネルギーや食糧、建材など自給率高い暮らしができます。もちろん大規模な市場に対するほどのものではありませんが。
温泉津町(ゆのつちょう)でいうと、耕作放棄地がたくさんあって、新しく農業を始めることも可能です。高級柿の西条柿の畑ですら、後継者がいなくて放棄されています。これを継いで2次加工品を作ってもいいし、自生しているワサビやクレソンも、少し手を入れるだけで質の高いものになり、商品価値を高くして売ることができます。山で良い木を育てて製材し、販売することだってできます。もちろん、先にいったような工芸品を、そこにある素材で作っていくこともできます。
また、地名の通り温泉街が近くにあるのですが、その宿泊施設で働くこともできます。今はやや古びた温泉旅館ですが、もう少し若い層をターゲットにした形態にしていきたいし、飲食店もオープンしました。さらに自然の暮らしとテクノロジー、里山の人と来訪者などなど、一旦分離したと思えるモノをリコネクトする場を作る予定です。具体的には、サウナ、ギャラリー、ショップ、コワーキングスペース、デジファブなどです。人と人との交流に欠かせない“スナック”も作ります(笑)。とにかく、なんでもできるんですよ(笑)。
自然とテクノロジーのハイブリッドな生活
“誰もが職人”ということですが、こういった街で働く人も含めてでしょうか?
我々が目指す里山では、職人とは単にモノを作る人ではなく「自然を活かし、自然に生かされている人」と定義しています。そういった意味では、助け合いながら経済圏を回していく存在は皆、職人といえるかもしれませんね。自然を敬い、感謝しつつ、自然にある0円のモノを活かして、いかに価値あるものに変換し、生きる糧にできるか?をみんなで実践していく感じです。
既存の里山事業とは一線を画すんでしょうか?
中には極端に現代社会を否定しいる人もいますが、我々は、例えばネット環境とか、重機とか、エアコンとかIHとかとか、使えるテクノロジーは使って、便利で安全・快適な暮らしを両立させています。畦道ひとつ作るのでも、スコップだけでは3年くらいかかりそうなものが、重機を使うと3時間くらいでできます。「よしやろう!」って気にもなるでしょう?(笑)モビリティが発展したことで、里山の暮らしにスピード感を持って入っていけるという利点もありますし。
クリエイティブ思考も育む里山暮らし。まずは飛び込んでみては?
では職人=住人大募集というところですかね?
何組かが移住して、小さいながらも経済圏として回っていくのが目標ですが、関わり方はいろいろあると思います。
・一山買って、経済圏の中心的存在になる!
・都会に本業(学業なども)を持ちつつ、ときどき農作業などを手伝いに来る
・里山に暮らしつつも、本業はリモートで、空いた時間に共助作業をする
・里山暮らしを体験する(ワークショップ的にでも)
・里山で作られたプロダクトを買う
などです。
「山を買いたい!」という相談にも乗りますし、長期休みにボランティアに来たいということであれば、あご枕(宿泊&ご飯)は提供します!プロダクトではときどきクラウドファンディングも実施しています!あと、僕が買った土地がやたらと広いので、そこで山に入って狩りをしたり、畑を耕したり、新しい家や施設を建てたり、一緒に里山暮らしのシェアをしつつ、温泉街で働くパターンとかめっちゃ楽しいと思います!
ただ、温泉津町だけで次世代が変わるとは思っていません。この試みの成功体験を全国に広めてこそだと思っています。だって国土の6〜7割は山林ですからね!そのためには、モノ作りのスキルを持った職人だけでなく、デザイン思考・クリエイティブ思考を持った職人(我々の定義でいう)を育てていく必要があります。里山の暮らしは、まず自分でビジョンを描いて、そこから逆算してクリエイションしていくことの繰り返しなので、自分で考え、クリエイティブできる人材が育つはずです。そんな人材を全国に送り出せたらいいなと思っているので、教育観点でも関わってくれる人が来てくれるといいなと思います!
とにかく、職人の後継者問題は、それ自体だけの問題ではなく、現代の行き過ぎた経済主義や固定観念が作り出す問題の一葉だと思います。国、地方単位で経済圏を見直し、子どもたち次世代が安心して暮らせる社会に皆でしていきたいですね。
日々、どんなことを行っているのか、どんなお手伝いを募集しているかは小林さんのFacebookなどで発信しているので、見てみてください!
取材・文/大倉 奈津子