2020年のコロナ禍以降、私たちの生活は一変しました。これまでなんとか生活を持ちこたえていた人たちが、足元から崩れるように家や職を失っています。生活困窮者というと、路上で生活する人をイメージする方も多いでしょう。しかしここ最近、“見えない貧困”という言葉が話題となったように、一昔前の生活困窮とは状況が少し違ってきているようです。今、生活に困っている人たちはどのような人たちなのか。また、私たちに出来ることは何なのか。2003年の団体結成以来、池袋で炊き出しや夜回り、生活相談、シェルター提供などの支援活動を行っている「特定非営利活動法人 TENOHASI」の代表理事、清野さんにインタビューしました。
清野 賢司(せいの けんじ)
1961年生まれ。埼玉県浦和市出身。大学卒業後、東京都内の中学校で社会科教員として約30年間働く。2002年、自身が働いていた近隣中学校の生徒による路上生活者殺害事件に衝撃を受け、2004年からボランティアとしてTENOHASIの活動に参加。2005年には運営として携わるようになり、越年・越冬活動の指揮を担当。2006年に事務局長に就任し、2014年6月から代表理事となる。
この活動はこんな人におすすめ
・貧困問題に興味がある
・長年活動する団体を応援したい
・地域に根づいた活動を応援したい
複数の団体が合体し、2003年に活動がスタート
活動はどのように始まったのでしょうか。
TENOHASIは、複数の団体が集まって結成されました。 1999年ごろ、新宿でホームレスの活動支援を行っていた「新宿連絡会」と、池袋の路上生活者が連携して、「池袋野宿者連絡会」が立ち上がりました。その後、池袋野宿者連絡会を応援する支援団体「池袋野宿者と共に歩む会」や、新宿で医療相談を行っていた方たちが「池袋医療班」を立ち上げ、これらの団体が合体して「TENOHASI」が結成されたのが2003年12月のことです。代表には中村あずささん、事務局長には森川すいめいさんが就任し、若い2人を中心に活動がスタートしました。
当時は年間予算80万円ほどの小さな団体で、事務所もなく、炊き出しと夜回りで精一杯でした。目標は「路上生活者が共同生活をしながらBIGISSUEを販売し、自分で借りたアパートに入居すること」。しかし、なかなか上手くはいきませんでした。共同生活にストレスが溜まって脱落する人や、お金を持って逃げる人もいました。さらに支援活動が忙しく、人手が足りないという問題も持ち合わせていました。様々な課題が浮き彫りになっていた2005年の年末、私が運営側に携わるようになりました。その後、紆余曲折あり、2006年に事務局長へ就任しました。
中学生による路上生活者への事件がきっかけで活動を知る
清野さんがTENOHASIで活動を始めたきっかけを教えてください。
2002年1月、東村山市内の中学生たちが路上生活者を殺害していしまうという事件があり、多くのメディアで報道されました。当時私は、数年前まで隣の中学校に勤めていたこともあり、自分たちの身近で起こった出来事に大きなショックを受けました。同時に、自分を含む多くの人たちが、路上生活者のことを何も考えていなかったことに気がつきました。彼らはひどい差別を受けていましたが、多くの人がそれを問題と捉えておらず、日常のありふれた光景だと流していた。これこそ差別の最前線だと感じました。
授業を通して生徒たちに伝えたいと思っていたのですが、日々忙しく、何もできないまま時間が過ぎてしまいました……。そして2004年、ホームレスを撮影したドキュメンタリー映画「あしがらさん」が公開されることを知り、すぐに映画館へと足を運びました。最初、何を話しているのか、何をしているのかよく分からなかった男性が、施設に入ったことをきっかけに人間的な顔つきになっていく。この映画がすごく良くて、これなら生徒が観ても理解出来るのではないかと思いました。
一方で、ただ映画を観るだけでは実感が伴わないので、当事者を呼んで話をしてもらおうと考えました。当時、板橋区の中学校に勤めていたので、一番近い繁華街である池袋で活動していたTENOHASIに連絡を取り、当事者2人から生徒たちに直接話をしてもらうことができました。生徒たちからもたくさん質問が出てきたりと、すごく反響がありました。 そしてその後、ボランティアとして活動に携わるようになりました。
生活相談を中心に、炊き出しや夜回りのルーティン活動を行う日々
TENOHASIでは具体的にどんな活動をしていますか。
私たちの日々の業務は、生活相談を受けた方のフォローです。炊き出しで相談を受けた人の生活保護申請をサポートしたり、シェルターを卒業した人から役所での手続きについて相談を受けたり。また、事務作業が終わったあとにシェルターへ行き、利用者の安否確認も行っています。
また、ルーティンの活動として月2回の炊き出しと、毎週の夜回りも行っています。 炊き出しは第2、第4土曜日の18時から、東池袋中央公園でお弁当やパン、果物などを配布していて、同じ場所で生活相談や医療相談、はり灸マッサージなども無料で行っています。
夜回りは毎週水曜日、池袋駅前公園から4グループに分かれて、寝ている人や佇んでいる人に声をかけています。話を聞きながらおにぎりやパンを配っているのですが、会えないと食べ損ねてしまうという声もあり、確実に食べ物が欲しい人は夜回り前にも公園に来てもらっています。寝床でもう一度会えたら、さらにもう1個もらえるという形です。
TENOHASIの活動は池袋に限定しているため、活動範囲はそう広くはありません。地区外からも相談が来るのですが、そこに手を出してしまうとキャパを超えてしまうので、その場合は該当する地域の団体などを紹介しています。
シェルターはいつから始められたのですか。
以前から、炊き出しや夜回りで出会った人たちが、“とりあえず今夜泊まれる場所” 、そして、“しばらく居られる場所” が欲しいと思っていました。 2008年と2009年に大規模な調査を行った結果、路上生活者の中には、精神疾患や知的障害を持っている人が多いということが分かりました。障害を抱えながら路上や施設を彷徨っている人たちが、どうしたら安定した住まいや生活に繋げられるか、もっと支援の進化を目指さなくてはいけないと感じましたね。
そして2010年4月、継続的な医療のプラットホーム作りを行っている国際NGO「世界の医療団」と、北海道で困窮者の精神疾患のリカバリを推進していた「浦河べてるの家」に声をかけ、3団体で協力して、東京で困窮する精神障害者のための「医療・福祉の支援が必要なホームレス状態の人々の精神と生活の質向上プロジェクト(世界の医療団東京プロジェクト)」をスタートさせました。
その流れの中でシェルターを作ることになり、炊き出し会場になっていた公園の近くにワンルームマンションを借りました。炊き出しに来た人たちが、雑魚寝しながらご飯を食べられて、お風呂にも入られる場所ができました。当時は、路上で生活する人たちが現在の何倍もいたため、非常に喜ばれ、4年ほど運営を続けていました。
シェルター運営はうまくいっていた部分もありましたが、見ず知らずの人たちによる共同生活なので、喧嘩や事件も度々ありました。もっといい環境はないかと次に始めたのがシェアハウスです。お風呂、トイレ、食事は共同で、個室が5部屋と以前よりは良くなったのですが、まだまだ十分なプライバシーの確保はできていませんでした。
そして2016年ごろ、「一般社団法人つくろい東京ファンド」のサポートもあり、クラウドファンディングで集まったお金で、一人ずつ安心して過ごせるアパートを借りることができました。 誰からも干渉されないプライベートな空間があることで、人間関係に悩むことなく、心身ともに休むことができるようになりました。このような実践を、アメリカでは「ハウジングファースト」と呼んでおり、その流れに乗って「ハウジングファースト東京プロジェクト」という名称にしました。 2部屋からスタートして、少しずつ増やすことができています。
今、実際どんな方が困っていらっしゃるのでしょうか。
若い人も高齢の人も、もともと貧困家庭出身の人が多いですね。年配の方だと、中学校をきちんと卒業せず働きに出た人、集団就職で上京した人など。若い人だと、家が貧しかったり、虐待を受けていて自宅に居場所がなかったり。どちらも家庭からの支援を十分に受けられなかった人たちばかりです。そんな家庭で育った子どもたちが大人になり、精神的に打撃を受けてお金もない。もともと保証のない貧困であった人たちが、最低線のさらにもう一つ下に落ちてしまうという状況ですね。
TENOHASIの活動を始めてから、徐々に炊き出しに並ぶ人たちは減ってきていたのですが、コロナ禍以降に激増しました。2019年の平均が166人だったのに対して、2022年9月10日の炊き出しに並んだ人は519人。3倍にも増加しています。皆さん様々な事情を抱えていて、その事情にもグラデーションはありますが、非正規雇用の人たちが多いですね。
まずは炊き出しボランティアに参加していただければ
私たちがお手伝いできるボランティア活動について教えてください。
まずは、炊き出しボランティアに参加していただきたいです。現在はコロナ禍により人数を制限していますが、1回の炊き出しにつき、一般公募の参加者を先着4名まで受け入れています。2週間前に申し込みを開始していますが、ありがたいことにすぐに埋まってしまいます。団体の活動を理解してもらうため、初参加の方には当日、私から団体について説明を行った後、炊き出しボランティアに参加してもらっています。
続けてお手伝いいただける方には、LINEグループに登録してもらい、参加できるタイミングで手をあげてもらっています。 日中お時間のある方は、シェルターのお掃除ボランティアにも参加していただけると嬉しいです。
コロナ禍で制限がかかってしまった炊き出し活動
炊き出し活動はコロナ禍により変化がありましたか。
だいぶ変わりましたね。以前は食材を大量に購入し、みんなで楽しく準備をしていました。おかわりもできたし、残ったご飯はおにぎりにして持ち帰ることができました。
現在は感染リスクを抑えるため、お弁当の配布へと変更し、なるべく早く終わらせるようにしています。しかし、数に限りがあるため、早く並ぼうとする方や割り込む方が出てきました。そのため、列に並ぶ人たちを誘導する整理誘導班が必要になり、トラブルに対応する労力や時間も必要になりました。
列に並ぶ人はほとんどが男性のため、女性や体の不自由な方のための列も用意しています。また、炊き出しをもらいたいけれど入り口で躊躇している人もるので、そういう方に声をかける案内係もいます。 いわゆる皆さんが“ホームレス”とイメージするような年配の男性ばかりを相手にしていた頃と比べると、コロナ禍により性別や年齢を問わず、多様な方がいらっしゃっていますね。
その他、お金や物品の寄付について教えてください。
郵便振替、ゆうちょ銀行への振込、クレジットカードで寄付金を受け付けています。他にも、活動場所に持ってきてくる人、現金書留で送ってくださる方もいらっしゃいます。また、マンスリーサポートといって、定期的なご寄付も可能です。
物品については、マスクや消毒液、日持ちする保存食、季節に合った男性用の衣類などがありがたいです。衣類は、基本的に清潔なものであれば中古でも構いませんが、下着類だけは新品でお願いしています。以前は炊き出しと同じタイミングで衣類の配布を行なっていたのですが、炊き出しに並ぶ人数が増えすぎて対応できないため、第一土曜日に配布しています。
衣類の配布に来る人の方が、より困窮しています。毎回120〜130くらいの人が来るのですが、本当に路上で生活をしている人は、洗濯ができないので衣類をキープできないんですよね。汚れるまでその服を着て、新しいのを手に入れたら捨てるという流れです。
私がいなくても活動を維持できる体制づくりが必要
活動をする上での課題・困っていることはありますか。
小さな団体なので、運営スキルのある人材が不足しています。以前はすべて、私一人でやっていた時期もありましたが、仲間が増えてからは分担できるようになりました。お金がない時期はそうするしかなかったのですが、自分がいないと成り立たない体制を作ってしまった。どこかで私がフェードアウトできる体制を作らないといけないなと思います。
これからコロナが収束し、夜回りと炊き出しだけであれば何人かの中心メンバーでやっていけると思います。しかし、シェルター運営は寄付頼みなのでいつまで続けられるかという感じです。職員が増えると人を雇う人件費が必要になってくる。そこがなかなか難しく、ボランティアの方たちに手伝ってもらいながら活動を続けています。プロボノ的に関わってくれる人がいるといいのですが、長期的に見るとなかなか難しく、悩みどころですね。
嬉しかったのは、“支援される側”だった人が“支援する側”になっていたこと
この活動をしていて良かったと思う瞬間を教えてください。
やっぱり、炊き出しに並んでいた人たちや生活相談に乗っていた人たちが、「アパートに入りました」「仕事が決まって今も続けられています」と、順調に歩み始めていることを知ったときですね。あと、一番嬉しかったのは、今まで支援される側だった人が、良い顔をして支援する側になっていたとき。「お世話になったので寄付します」と言われたときは、この活動をやっていて本当に良かったと思いました。
炊き出しが不要になり、ハウジングファーストが当たり前の社会に
活動をする上での目標やゴール・今後の活動について教えてください。
私たちが考えるゴールは、炊き出しのいらない社会になること、そして、ハウジングファーストが当たり前になることです。そのためにはまず、相談に来る人たちがTENOHASIのシェルターやノウハウを活用し、少しでも良い状況になれるよう導くこと。そして、その積み重ねの先にノウハウが広く共有され、困窮して家を失ってしまった場合も、役所に相談すれば、安心して暮らせる住まいを提供してもらえるようになること。
生活困窮者が、心身ともに安心して暮らせる個室シェルターを役所が運営してくれれば、私たちが独自で運営する必要はありません。現場の運営を私たちのような団体がやっても良いと思います。それが実現すれば、我々のような民間団体が寄付に頼ってやっていく必要がなくなる。もしくは日本でも寄付文化が根づき、ずっとこのような活動が維持できるようになるのか、先のことは分からないですね……。誰もが現在のように、コロナの嵐が訪れて、こんなに揉みくちゃされるとは思っていなかったですからね。
また、ルーティンで行なっている炊き出し活動は、地域の子ども食堂のように、みんなが集まって語り合い、ボランティアさんたちにとっても安心できる場所になったらいいなと。子ども食堂は様々な場所で増えていますが、“大人食堂” や“誰でも食堂” のような活動も立ち上がっています。そうやって、いろいろな地域に井戸端会議のような食堂やカフェがたくさん出来ると、地域の力になっていくのかなと思います。